【わからないオッサンになってやる】

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阿弥陀の「弥陀(ミダ)は、測るという意味」。阿弥陀の「阿(ア)は、反意を表す接頭語」。なので、阿弥陀は、「測れない」「わからない」を意味している。と、いうことは、浄土宗・浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来様は、「わからない奴」なのである。

キリスト教など、一神教の宗教において、「神」は、絶対的な存在であり、全てを知り、全ての能力を有するとされていることを考えると、まったくの真逆。「わからない」ことに、お手々のシワとシワを合わせる仏教って、やっぱり素敵である。いくつものモノサシで測っても、世の中や、人間って、わかることはない。わからないことが、真理なのである。

経済合理をモノサシにした、勝ち組、負け組。一方的な正義をモノサシにした、善と悪。何でもかんでも、ひとつのメジャーで測ろうとするから、世の中は歪む。マスメディアは、わかりやすくするほど視聴率がとれる。国民単純化の装置である。正義や善意を爆走させて、みんなを全知全能な気分にさせる。

わかりやすい方にばかり進む日本に、今こそ必要なのは「阿弥陀力」である。測り知れない大人力である。

全知全能だと自称する社長が居座っている会社の器は、たかが知れている。ひとことで言うとどうなのよーと迫る上司の懐は狭い。わかりやすい企画書で行きましょうというプレゼンに限って、提示できる戦略の奥行きがない。わかりやすいステータスに、魅力はない。

運命に逆らい、状況に挑み、闘い続けた人だけに帯びている測り知れない高貴さこそ、ステータスである。多様な他者の力を信じ、許容することのできる測り知れない器量こそステータスである。

アタマの良い人達が望むように、人間や社会が、単純にわかりやすいものだったら、この世の中は、こんなにも発展はしなかった。「わからないこと」を抱えるから、人も、時代も、前へ進む。「阿弥陀力」こそ、社会の推進力な訳である。全部、わかったら、全部、止まる。

植木等さん亡きいま。私は「わかっちっいるけど、やめられないのよねー」と言えるスーダラな大人でいたいと思う。経営漫才もする。また、裸にもなってやる。旅にも出る。死ぬまで迷走する。迷いに迷ってどこへもたどり着かない姿を晒してみる。何の尺度も当てはまらない「わからないオッサン」になってみたいのである。

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