【背骨で泣いて、背骨で笑う。】

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豪快なマサカリ投法でプロ野球界を席巻した村田兆治さんは、1990年に引退。その後、プロ野球解説をしながら、20年にわたり離島の子供達に野球を手弁当で教えてまわるという活動をされている。そして、プロ野球のOBで構成されるマスターズリーグでは、現役顔負けの140キロの球をいまだ投げ続けている。

 

なぜ、村田兆治は、140キロの剛速球にこだわるのか?

 

この答えがWEDGEに掲載されていたので転載させていただく。「『こうしてごらん』と教えるとき、話しだけ聞かせてお茶を濁すのも一つの方法だけど、実際に、見せなきゃ子供だって聞くわけがない。私は『昔は凄かった』じゃなくて『今が凄い』って言われたいんです」。

 

昔の自慢話で、自分を大きく見せようとはしない。自分の現役時代を知らない子供達に、凄い野球を伝えるためには、「自分が、今凄くなくてはいけない」から、「今を磨き続ける」。何かと言えば「昔は、凄かった」と話す某業界の年寄り連中は、耳の穴をかっぽじって、この言葉をこころに留めるのが良い。他人が、こころの底から、自然と頭を垂れるのは、「根気の前」にである。毎日、毎日、ひとつ、ひとつ・・・「今を磨き続けている姿」にである。

 

毎日、毎日、コツコツと根気よく今を磨くためには、骨が折れる。丈夫な骨が必要だ。それは、どこの骨か。・・・こころの骨だ。「こころ」を漢字に当てはめると「己己呂」と書くという。「己」は、おのれ。「呂」は、訓読みで、背骨。こころとは、胸にあるのではなく、背骨にあるのだ。

 

大きな誇りを背負うには、折れても折れても屈しない、丈夫な背骨が、きっと必要なのである。「昔は、凄かった」と、その残像をなぞり、大きく見せようと躍起になるヒトの背骨は、いつかは曲がり、下を向くことになる。毎日毎日、前を見て、背筋を伸ばして、今を磨き続ける=「今が凄い」ことを求め続けているヒトの背骨は、そう簡単には曲がらない。

 

子供も部下も、親や上司の背中を見て育つ。背中を見せるには、いつも前を見ていなくてはいけない。向かい合って泣くのではなく、背骨で泣いて、背骨で笑うのである。

 

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