【ペラペラな感動の功罪】

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「狂人と天才との決定的な違いとは、安直さの有無である。精神を病んだ人は、我慢が出来ない。性急で、地道に物事を進めることが出来ない。すぐに事態を分かりやすい形にしなければ精神が耐えられない。」これは、『わたしたちは異常な存在をどう見てきたのか』春日武彦著の一文である。

 

ハッキリと言わせてもらうが、社員研修に「感動プログラム」を導入するような会社は、狂っている。安直すぎる。人間の精神は、レコード盤みたいなものではない。傷のついたレコード盤のように同じ箇所を延々と反復するかのような感動の押し付け実習が、その人間を成長させるとは到底思えない。「感動させろ」なんて命題をいけしゃーしゃーと口にする大人なんて信用するに値しない。

 

ブラックと言われる企業に導入される洗脳系研修の大概は、ペラペラな感動の嵐である。簡単に涙を流す。いともたやすく人間同士が包容し合う。そんなもん思考停止以外の何ものでもない。

 

簡単に感動する人間は、簡単に忘れる。そして、傷のついたレコード盤のように同じ箇所で同じように感動する。会社が、集金装置であるとするならそれでよい。思考停止の営業マンの屍を累々と蓄積すればよい。しかし、会社が人を成長させる場所であるとするなら、「安直な感動」は、その道を狂わせる。

 

道端でゴロゴロ売ってるような「コトバ」でみんなが感動し成長するというなら、この世は、こんなに複雑になってはいない。この多様性と多元性にこそ「感動」のポイントがある。人間が素晴らしいのは、「感動」させる能力があることではない。森羅万象から「感じて動ける」能力にある。

 

「はじめてのお使い」のような感動を押し売りする営業マンが湧いて出てくるような気持ち悪い春にして欲しくない。日本の春は、もっと多様性に満ちているはずである。我慢の先に、豊かさの芽は、花開くのである。

 

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