【よその子とゴーヤは育つのが早い】

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この歳になって経営漫才なるものを始めた。50からの手習いである。そのネタづくりのためにいろいろな漫才コンビを研究中である。流れ星やウーマンラッシュアワーもいいけど、結局、ナイツや博多華丸大吉の古典的なしゃべくりに落ち着く。いま「低い低いと思っていていつのまにやら高くなってるのが尿酸値とプライドですな。」という博多華丸の一連のボケにココロを囚われている。笑

漫才を考えはじめて確信できた。笑いは「周辺」である。「真ん中」なんかなくてもなんとかなるのである。言い換えると、真ん中が決まったら、あとは「周辺」でどれだけ遊べるかなのである。

タモリさんも、こんなことを言っている。『お笑いっていうのは、大体、周辺から面白いものが始まってるから。「アレ?」っていうね。そこから広がっていくから。やる気のあるヤツは、真ん中しか見てない。だから、全然ダメね。やる気のあるヤツは。』。

笑いを求める衝動の起点はどこだったろう?それは、つまらない授業中の落書き遊びであった気がする。眠い授業に 飽きた連中は、思い思いに、教科書に落書きをする。あるグループは、それでは物足りず、落書きしたメモを回し読みする。そうして、クスクスと笑いが周辺から渦巻いていく状況が堪らないのである。

真ん中に対する対抗精神があるから、笑いは、周辺から生まれてくる。やる気は大事だとわかっているからこそ、笑いは、その周辺をグルグル回っているのである。「真ん中」を見て見ぬふりができることが「笑い」をつくるセンスなのである。やる気を前面に出す奴が面白かった試しがない。営業会議で声の大きな奴の話で笑ったことがない。

よその子とゴーヤは育つのが早い。
遠い親戚の子とオクラも育つのが早い。
どうでもいいことのど真ん中に、人間の営みがあるのである。

 

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